部活動サッカー部

部員数 1年 男子51名 女子9名 
2年 男子39名 女子15名 マネージャー5名
3年 男子44名 女子11名 マネージャー3名
活動日 火曜日から日曜日 月曜日休み
顧問 監督  池田 一義  中山 伊智郎  町田 裕一  石井 隆  豊田 晶子

「攻めて勝つ」をテーマにどんな相手と対戦してもゲームを支配する攻撃サッカーを!

浦和市立高校サッカー部の歩み

永田養三先生手記「輝く埼玉サッカー75周年の歩み」から抜粋

昭和18年創立の浦和市立高等学校は男子のみの中学校として六辻の仮校舎でスタートした。サッカー部がつくられたのはもちろん終戦後の昭和21年のことである。といってもグランドも、ゴールポストも、ボールもないというもの。仕方なく旧制浦高のグランドなどを借用して練習を続けた。昭和23年1月に初めて県大会で優勝の味を覚えたが、その後は苦難の道の連続であった。

 昭和27年7月鈴木駿一郎先生が赴任し、ショートパス、オープン攻撃の戦法を取り入れてから雌伏10年やっと国民体育大会県予選に優勝し、32年の静岡国体から全国大会へ駒を進めるようになった。先生の監督としての在任中、国民体育大会出場6回中、優勝2回、準優勝1回、3位1回。正月の高校選手権出場4回中、優勝2回、準優勝1回という輝かしい実績を残され黄金時代を打ち立てた。その後更に国民体育大会1回、全国高校総体1回、高校選手権2回と合計全国大会に8回優勝し、準優勝3回、3位4回を記録し現在に至っている。

<鈴木駿一郎先生について>

J.F.A機関誌サッカーの49号「追悼の物故者」に記された文によれば、「鈴木氏は静岡県出身。静岡中学、八校、東大時代からサッカーに打ち込み昭和5年の極東大会に日本製のボールを使えるように製作技術を指導したのも同氏の力による。専門は地質学で満州で活躍。終戦後、偶然の機会で埼玉県に居住し浦和市高に勤務。同高サッカー部をしばしば優勝に導き、埼玉サッカー躍進の力となった。協会の役員として働くことはなかったが、日本サッカーの発達史上には忘れてはならない恩人」と。更に別に「大正末から昭和の初めの大学リーグ戦で活躍されていた姿をほうふつされるだけに大きなショックであった。」という文もある。

鈴木先生と共に本校サッカー部の歴史上見落としてはならないものとして歴代OBたちが、実によく現役の指導をしてくれたことである。時には1チームできるぐらいの人たちが練習に参加。この熱意あるOBたちとの総合力が黄金時代を築き、相当の期間全国的な優位を保ち得た要因であると思われる。

 

歴代監督 昭和21年~ 永田養三  (6年間) 

     昭和27年~ 鈴木駿一郎 (12年間)

     昭和39年~ 永田養三  (1年間(計7年間))

     昭和40年~ 磯貝純一  (35年間)

     平成11年~ 池田一義  (19年目)

 

<磯貝純一監督>

日本体育大学を卒業後、昭和40年から浦和市立高校監督。国体選手として活躍、教員の部で4度の優勝に貢献。監督として2年目には全国高校総体2位、選手権大会3位。就任3年目の昭和42年、高校総体(福井)で采配初全国優勝。昭和45年には高校総体ベスト8、昭和46年は高校総体3位と実績をあげる。さらに、昭和47年全国高校選手権制覇。このときの選手には、清水秀彦(元横浜マリノス監督・当時3年生)、田中孝司(元名古屋グランパス監督・当時2年生)などがいた。その後、昭和57年度高校総体(鹿児島)ベスト8。昭和58年度に11年ぶりとなる全国高校選手権出場を果たしベスト8。このとき、現在の監督である池田一義が選手として出場している。磯貝監督が56歳となる平成8年度には13年ぶりに選手権出場を決めた。「守りを固め、外から攻撃」する伝統のオープン攻撃で、堀之内聖(元浦和レッズ)を中心に勝ち上がった。準々決勝で中村俊輔(マリノス)を擁する桐光学園(神奈川)に敗れはしたが、ベスト8まで進出し古豪復活といわれた。35年間にわたる浦和市立高校での監督生活は、埼玉サッカーに多くの歴史を刻んだ。

<池田一義監督>

浦和市立高校を卒業後、筑波大学に進学。レギュラーFWとして活躍し、スローインを一回転して投げるハンドスプリングスローは、TVなどのマスコミに取り上げられ一世を風靡した。4年次の大学選手権では、DFの井原正巳(元日本代表)、FWの中山雅史(元日本代表)らとともに優勝を経験している。プロへの誘いもあったが迷わず教職を志願。埼玉県代表選手として国体成年の部で優勝。平成11年からは定年退職した名伯楽・磯貝純一前監督の薫陶を受けて、母校の浦和市立高校に赴任。平成13年埼玉県代表コーチとして国体少年の部で優勝。浦和市立高校就任4年目の平成14年度には、関東大会と高校総体に出場させる。平成16年は選手権埼玉県予選決勝に進出するが惜敗。翌17年関東大会に出場し、42年ぶりに優勝を果たした。翌18年、ふたたび選手権埼玉県予選決勝に進出。平成19年度、22年度には高校総体出場。19年度、20年度と2年連続関東大会出場。平成20年度全国選手権大会に監督としては初出場。平成23年度関東大会準優勝。平成25年度関東大会出場。平成25年度全国選手権大会に2度目の出場。

平成28年度から埼玉県高体連サッカー専門部委員長。日本サッカー協会公認B級コーチ

<現在とこれからの市立浦和高校サッカー部>

平成13年さいたま市誕生に伴い、校名が「浦和市立高校」から「市立浦和高校」に変更された。“文武両道・自由闊達・自主市立”を校風とする学校。市高(しこう)と呼ばれ、入試では毎年県No1の高倍率となる人気がある。そのため受験レベルがぐんぐん高くなり、現在は県内有数の進学校である。サッカー部に入部する生徒は、「市高でサッカーする」ことを目標に受験勉強をして集まってくるため、目的意識が非常に高い。部員数も年々多くなり、各学年40人以上の部員が、伝統のグランドで汗を流している。池田監督の指導のもと、「全国制覇」「愛される選手・愛されるチームであること」「自立」を目標に活動している。試合では、「攻めて勝つ」をテーマにどんな相手と対戦してもゲームを支配する攻撃サッカーを目指している。部員は頭がよく理解力と集中力に優れているので、経験をつみ話し合うほどチームはよくなっていく傾向がある。一人一人が自分自身を伸ばそうと努力しており、お互いの妥協を許さない厳しいムードの中で、選手同士が高めあっていく部活動である。サッカーと勉強の両立を成し遂げる部員が多く、3年生は全員11月まで部活動を続け、チーム一丸となって選手権予選を戦う。レギュラー選手もスポーツ推薦を使うことなく、現役受験で筑波大学、東京学芸大学、早稲田大学などに多く進学している。サッカーの指導者を目指して中学・高校の教員になる者も多い。また、学校全体としてサッカー部を応援するムードがあり、スタジアムに進出すると、吹奏楽部、バトン部、一般生徒、父母会、OB会はもちろん地域の人々も含めた大応援団がすばらしい応援を繰り広げる。

平成19年度からは中高一貫校となり、中学サッカー部も活動を開始。平成22年度には、内部進学の生徒も高校サッカー部に入部した。この年、高校からの入学者が8クラス募集から6クラス募集になった。しかし、埼玉県内の多くの生徒が橙色のユニフォームでプレーすることを目ざしてくれるため部員数は更に増えている。

また、女子サッカー部も平成18年度から大会に参加しており、平成20年度には県のベスト8に進出した。

全国で名の知れた「サッカー王国、埼玉」にある「サッカーの町、浦和」「サッカータウンさいたま」。その中心的場所に位置する伝統の市立浦和高校。今後も全国制覇に向け、名門が名門であり続けるためのチャレンジを続けます。

 

<日本代表選手(ユース他)> 

昭和33年度 新井 隆   昭和34年度 柴田 和夫

昭和34年度 守屋 忠   昭和35年度 赤星 秀雄

昭和35年度 内田 裕   昭和35年度 板村 岱

昭和35年度 金子 功   昭和36年度 利根川 俊

昭和37年度 清水 義平  昭和37年度 辻 松男

昭和37年度 瀬木谷 弘三 昭和37年度 萩原 勝利

昭和38年度 落合 弘   昭和38年度 石井 宏衛

昭和39年度 近江 友介  昭和39年度 吉田 三郎

昭和40年度 鈴木 保   昭和41年度 高梨(轟) 孝夫

昭和42年度 宮本 和郎  昭和42年度 鈴木 章夫

昭和48年度 田中 孝司  平成9年度 堀之内 聖

 

<日本サッカー界で活躍されている方々> 

昭和29年度卒 石沢 君男  元 日本女子リーグ・浦和レディース監督 

   昭和35年度卒 板村 岱   元 (株)日立柏レイソル 強化本部普及グループマネージャー

   昭和38年度卒 落合 弘   元 日本代表主将 日本代表コーチ 

現 浦和レッズハートフルクラブキャプテン

    昭和38年度卒 花岡 英光   元 日本代表コーチ、Jリーグ仙台GM

    昭和40年度卒 鈴木 保   元 日本女子代表サッカー監督

    昭和43年度卒 永井 利幸  Jリーグ横浜マリノス役員

    昭和47年度卒 清水 秀彦  元 Jリーグマリノス、アビスパ、パープルサンガ、ブランメル監督

    昭和48年度卒 田中 孝司  元 日本サッカー・ユース監督 Jリーグ名古屋グランパス、湘南ベルマーレ監督

    平成 7年度卒 井上 敦史   元 J2 コンサドーレ札幌選手 

   平成 9年度卒 堀之内 聖   元 J1 浦和レッズ選手 

   平成11年度卒 町田 多聞  元 J2 ロアッソ熊本選手

主な実績 <全国大会タイトル獲得回数>
                      優勝  準優勝  3位  ベスト8
            全国選手権大会  4回   1回  2回   3回
             国民体育大会   3回  1回  1回  2回
             全国高校総体   1回  1回  1回  2回
               合計     8回  3回  4回  7回

<全国大会の記録>
   昭和32年 第12回国民体育大会 (静岡)  ベスト8
   昭和33年 第13回国民体育大会 (富山)  ベスト8
   昭和34年 第14回国民体育大会 (東京)  優勝
 第38回全国選手権大会(西宮)  優勝
昭和35年 第15回国民体育大会 (熊本)  3位
 第39回全国選手権大会(西宮)  優勝
昭和36年 第16回国民体育大会 (秋田)  準優勝
         第40回全国選手権大会(西宮)  ベスト8
昭和37年 第17回国民体育大会 (岡山)  優勝
 第41回全国選手権大会(西宮)  準優勝
昭和38年 第18回国民体育大会 (山口)  優勝
第42回全国選手権大会(うつぼ) 3位
昭和39年 第19回国民体育大会 (新潟)  出場
第43回全国選手権大会(長居)  優勝
昭和41年 第1回全国高校総体  (青森)  準優勝
第45回全国選手権大会(西宮)  3位
昭和42年 第2回全国高校総体  (福井)  優勝
第46回全国選手権大会(西宮)  出場
昭和43年 第3回全国高校総体  (広島)  推薦出場
昭和45年 第5回全国高校総体  (和歌山) ベスト8
第50回全国選手権大会(西宮)  出場
昭和46年 第6回全国高校総体  (徳島)  3位
昭和47年 第51回全国選手権大会(長居)  優勝
昭和57年 第17回全国高校総体 (鹿児島)  ベスト8
昭和58年 第62回全国選手権大会(東京)   ベスト8
平成 8年 第31回全国高校総体 (山梨)   出場
第75回全国選手権大会(東京)   ベスト8
平成14年 第37回全国高校総体 (茨城)  出場
平成19年 第42回全国高校総体 (佐賀)  出場
平成20年 第87回全国選手権大会       出場
平成22年 第45回全国高校総体 (沖縄)   出場
平成25年 第92回全国選手権大会       出場

全国高校総体出場回数  10回
全国選手権大会出場回数 14回

■ 平成19年度 関東高校サッカー大会(東京都)出場
■ 平成19年度 全国高等学校総合体育大会(佐賀県)出場
■ 平成20年度 関東高校サッカー大会(千葉県)出場
■ 平成20年度 全国高等学校選手権大会出場(11年ぶり12回目)
■ 平成21年度 埼玉県U18トップリーグ出場
■ 平成23年度 関東高校サッカー大会 県予選 優勝 本大会 準優勝
■ 平成23年度 全国高等学校選手権大会 埼玉県大会 第3位
■ 平成23年度 高円宮杯 U-18サッカーリーグ 第3位
■ 平成24年度 埼玉県U18トップリーグ出場
■ 平成25年度 埼玉県U18トップリーグ出場中

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